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疾走/重松清/角川書店

からから、からっぽ度★★★★★

「名前を呼びたい。名前はいいなあ、と思う。」
そうだね、シュウジ。

疾走
疾走 角川書店
重松清(著)

長編だったなぁ。そして、終始暗い。
「おまえ」という呼びかけに、なんだかこわくて心が揺さぶられた1週間だった。
主人公シュウジに「おまえ」と語りかける誰か(最後に誰だかわかるのだけど)。その何者かが、シュウジと家族、同級生のエリ、神父、皆に恐れられている鬼ケンとその女アカネの、2年間の『疾走』を教えてくれる。

ある悲劇がシュウジを襲い、すべての歯車が狂い出す。唯一の救いであったエリは東京に引っ越してしまうのだが、シュウジの中には常に大きな存在としてある。
エリはつらい過去を背負い生きてきた、「孤高」の「ひとり」なのである。


シュウジが教会の神父に教わった「孤立」と「孤独」と「孤高」の違い。
仲間が欲しいのに誰もいない「ひとり」が、「孤立」。
「ひとり」でいるのが寂しい「ひとり」が、「孤独」。
誇りのある「ひとり」が、「孤高」。
なるほど。重松さんはこういうのうまいんだなぁ。

それにしてもつらくてグロくて…うーん。
わたしは、重松さんの本なにが好き?って聞かれて、『疾走』とは答えないだろうな…。



どうしても『白夜行』を思い出す作品だった。
この本を読んだときは、どうしようもない運命を歩み続ける亮司と雪穂に、いろんな気持ちになりながら号泣した。ドラマもすごくよかった(T_T)

シュウジも亮司同様、家族の破綻や生まれ育った土地の荒廃が、犯罪へと走らせ、生きていくための唯一の慰めの存在がいるということ、故郷を捨ててもなお、帰りたいという想いがある部分も、亮司や雪穂の気持ちとかぶった。
何が違うかと考えたら、亮司と雪穂には、犯罪を犯して追い詰められて成長すればするほど、生きることへの執着がありありと感じられたことかも知れない。そして、離れていても決してほどけないふたりの絆がすごく伝わってきた。こういう生への執着が少し違ったのだろうかと思う。
シュウジもエリも、「ひとり」になることを恐れず生きていきたいと思うのだけれど、2年間という短い期間で、肉体的には大人になったが精神的にはまだまだ子どものふたりが、ここまで絶望を背負って生きている。せめてお互いに感情をぶつけられる相手であったのならば、、、エリのことをもっと教えてほしかった。
あーでも「孤高」を目指すという意味では仕方なかったのかもしれないなぁ…。

救いが見えないでずーっと進んでいって、長い長い話なのに、感情移入できないまま、唐突に終わったという印象だった。
酷い暴力や目を背むけたいような性描写にうなだれてしまい、光の見えてこない物語だったな。。。

重松作品を読むといつもそうだけど、説教くさいなぁと思ってもついつい泣いていることが多い。でも今回は、泣くことはなかった。
それでも、「鬼ケンが生きていれば」シュウジが「ひとり」になることなどなかったかもしれない、と私もそう思ってシュウジの悲しい運命を考えたし、大阪のアカネを訪ねて再会したときのシュウジの高ぶりは、あまりに「ひとり」を感じてホロっときた。アカネ!手をつないであげて!抱いてあげて!と願った。

必要な性描写はもちろんあったけれど、それでもこれ以上はやりすぎだと思う部分が多かったし、エリの気持ちももっと描いてくれればふたりの東京での再会は大感動になるはずだったと思うから、ほんと残念だったなぁ。。。

映画は、どのシーンが使われてるのかな。鬼ケンは誰が演じてるだろう。気になる。観てみよう。


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2006年11月07日 重松清 トラックバック(1) コメント(0)

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(書評)疾走

著者:重松清 疾走 上価格:¥ 660(税込)発売日:2005-05-25疾走

2006年12月28日 たこの感想文

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